アオザイの歴史は?変化の過程
インターネットで調べたところによりますとアオザイの歴史はとても長く約4000年前には原型が登場し、浸透したのは約200年前だと言われています。その時代その時代で形やデザインが変わっていき1930年代頃に西洋の交流の影響もあって今のデザインになったそうです。
紀元前2000年~15,16世紀
Fig.1: 紀元前2000年~紀元200年
文化研究者によりますと、紀元前700年頃から紀元100年頃までベトナム北部の紅河デルタを中心に発展した青銅器時代のドンソン文化(Dong Son Culture)の頃、古代ベトナム人は前と後ろに2枚ずつ裾があるアオザイ(計4枚に分かれているアオザイ)を着ていたとされています。これは、ドンソン文化の代表的な祭祀遺物である銅鼓(trống đồng)の太鼓に描かれています。
Fig.2 , Fig.3: 11世紀~13世紀
中国文化を積極的に受容した李朝時代(1009~1225年)にアオザイは部分的に中国文化の影響を受けるようになりました。都は昇龍(現在のハノイ)で北部の肌寒い気候のためか3枚~5枚と重ねるようになりました。
Fig.4: 13世紀~15世紀
中国の文物(宗教、芸術、学問、法律などすべて文化に関するもの)を導入した陳朝時代(1225~1400年)、華やかで軽くなっていきました。
Fig.5 , Fig.6: 15世紀~16世紀
黎朝(前期1428~1527年、後期1532~1789年)時代に大きく変化を遂げていきます。
16世紀~18世紀
Fig.7: 16世紀
Fig.8 , Fig.9: 17世紀
Fig.10: 17世紀
Fig.11 , Fig.12: 18世紀
15世紀~18世紀には服装が変化しスタイルも変化していきました。前の2枚の布を結ぶ着こなしは普段の生活に適していたそうです。農作業など一年中働く田舎の女性が好んでいたスタイルだそうです。
18世紀~20世紀半ば
Fig.13: 18世紀
Fig.14: 19世紀前半
Fig.15: 19世紀後半
広南国(1558~1777年)の第8代君主グエン・フック・コアット(Nguyễn Phúc Khoát =阮福濶 1738年 - 1765年)が今のアオザイの原型を整えた人物とされています。この時代にアオザイが民族衣装として正式に認められるようになりました。彼はベトナムの文化的アイデンティティを保持するため、全ての人々に対して服装に関する勅令を発布し、この勅令によって初めて男性と女性の両方のアオザイの基本的な形が決まり、今日のアオザイと似た形となりました。現在の美しいアオザイには貢献したと思いますが、彼は武力を濫用したほか、女色を好み、租税も重く課し、ベトナム南部の民衆の不満は高まり後に抗争の原因になったそうです。
Fig.16: 19世紀後半
Fig.17: 20世紀前半
Fig.18: 20世紀半ば
1939年に画家のグエン・カット・トゥオン(Nguyễn Cát Tường 1912 – 1946 ở Sơn Tây) がデザインした西洋風アオザイが「ル・ミュール(Le Mur)」に登場しました。 彼のデザインは今までの伝統的なデザインと異なり斬新であり奇抜でありました。袖や襟、裾にヨーロッパ風のデザインを取り入れ体のラインに沿ってくびれを作り世間に衝撃を与え、当時は強く非難されて廃れていきましたが現在のアオザイのデザインに影響を与えたと言っても過言ではないと言われています。
ル・ミュール(Le Mur)
20世紀半ば~21世紀前半
Fig.19: 20世紀半ば
Fig.20: 20世紀後半
Fig.21: 21世紀前半
1960年代はラグラン袖(衿ぐりから袖下へかけて斜めに切り替えの入ったタイプの袖)のアオザイがサイゴンで考案されました。ラグラン袖にしつなぎ目にボタンを配置することで脇の下のしわを抑えるようにし尚且つ体のラインに沿わせながら腕も動かすことが出来るデザインになりました。
ラグラン袖の登場でアオザイはラグラン袖が主流となり、現在のアオザイへと進化しました。
1900年~現在の簡略図
1900年~現在の簡略図
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